No.15
(January 2003)

西ナイルウイルス脳炎は日本に来るか?


 20世紀のウイルス病の話題には、1980年天然痘の世界からの根絶、1984年エイズの登場など歴史に残る大イベントがあったが、1999年、米国大陸へ西ナイルウイルス脳炎の上陸も専門家も予知しなかった驚くべき事象であった。1999年8月から9月にかけて米国ニューヨーク市クイーンズ区北部で45才以上の成人に四肢の脱力感を訴える急性脳炎の発生が相次いで報告された。患者から分離されたのは思いもかけぬアフリカに常在する西ナイルウイルスであった。確認患者数はカナダ人旅行者1名を含む62名で、そのうち65才以上の高齢者7名が死亡した。興味あることに患者発生に先立ちニューヨーク市内の各所で多数のカラスを含む鳥類の死亡が発見され、市衛生局はその73例から西ナイルウイルスを分離した。さらにニューヨーク市外のロングアイランドで21頭のウマが西ナイルウイルス脳炎を発症し、9頭が死亡した。市衛生局は市内で無作為に採集したアカイエカから西ナイルウイルスを分離した。

 そもそも西ナイルウイルスの発見の歴史は古く、1937年アフリカのウガンダで最初に発見された。その後エジプト、ウガンダ、コンゴ、中央アフリカ、モザンビーク、ナイジェリア等のアフリカ諸国、ロシア、フランス、キプロス、ポルトガル、イスラエルの欧州諸国、インド、ボルネオ(?)といったアジア諸国でウイルスが分離されたという報告がある。また抗体存在の報告がマレーシア、タイ、フィリピン、トルコ、アルバニアであるが確実性は薄い。しかしアメリカ大陸での発生は過去に例がない。Lanciottiらの報告ではニューヨーク流行のウイルスの遺伝子は1998年イスラエルで分離された株に近似しているという。欧州のウイルスがどのようにしてニューヨークに持ち込まれたのか?それには感染蚊の導入、感染鳥類での導入、感染患者による導入の3種のルートが考えられる。感染蚊が気流等の自然気象、航空機などによる人口移動で運ばれる可能性があり、鳥類に持続感染、ウイルス血症をおこす特徴をもつ西ナイルウイルスが鳥類により遠隔地に運ばれることはよく知られている。また近年の航空機の発達によりウイルス血症をもつ感染者がウイルスを持ち込む危険は十分考えられる。現在、専門家の間でも見解が分かれている。重要なことは西ナイルウイルスが今回頻繁に脳炎を発症させたことである。以前にはこのウイルスによる感染は急性熱性疾患が一般で脳炎は稀と考えられてきた。ところがニューヨークではヒトのみならず、ウマ、トリまで頻繁に脳炎の発症が見られている。病原性の変異が起こった可能性が強く疑われる。

 当初からニューヨークに突如現れた西ナイルウイルスは当地で越冬し土着するのではないかと疑われた。媒介蚊であるアカイエカは都市で冬季でも吸血活動をすることが知られていたからである。この予測は的中し、翌2000年には21人、2001年には66人の患者が報告され、2002年10月24日現在実験室診断で西ナイルウイルス感染陽性と判定された人は3,346名でうち183名が死亡したと報告されている。汚染域も急速に拡大し、1999年にはニューヨーク州1州だけであったのが、2000年には3州、2001年には10州、2002年には西岸のカリフォルニア州まで全米39州に拡大した。2002年の患者発生のピークは9月で、一日で100人以上の患者が報告された日もあったという。ウマの感染も拡大し、1999年には25頭感染9頭死亡または安楽死、2000年には60頭感染、23頭死亡または安楽死、2001年には138頭感染、その1/3が死亡または安楽死、2002年には10月までに38州で11,000頭以上の感染馬が報告されているとの情報がもたらされた。米国以外にもカナダ、カリブ海諸国にも感染が報告されている。

 感染の拡大と共に蚊媒介以外の異常な感染も報告されている。すなわち輸血による感染と推定されるもの4例、臓器移植により感染した可能性のある者5例、このほかに母乳により感染した可能性のある新生児があるという。これらの知見を受けて日本の厚生労働省は西ナイル脳炎を含む西ナイル熱を全数届出の四類感染症とする法律の改正を行った。また米国関係者から骨髄移植を含む臓器移植を実施する場合にとくに西ナイルウイルス汚染に注意をうながしている。

 さて、日本に西ナイルウイルス侵入の可能性はどうであろうか。ヒトからの感染の可能性は上述した。また感染馬からのウイルス輸入は大いにありうることで輸入馬の検疫には西ナイルウイルス感染を厳しくチェックする必要があろう。また厚生労働省は空港における蚊の検査も実施していると報道されている。問題はトリを介しての西ナイルウイルスの導入である。米国CDCのGubler博士によるとパキスタンに西ナイルウイルス脳炎が発生しているという。パキスタンと日本との間には渡り鳥のルートがある。この旅鳥を介してパキスタンから西ナイルウイルスが導入される可能性がある。渡り鳥に対する検疫は不可能であるので、これからは日本でカラスを含む鳥類の自然死に注意を払う必要があろう。西ナイルウイルスは日本脳炎ウイルスとゲノムの相同性が高く共通抗原があるので抗体検査で西ナイルウイルス感染を特定するのは難しい。原因ウイルスを分離してゲノムの塩基配列を特定するしか信頼できる診断法がないことを知るべきである。倉根らは現行の日本脳炎ワクチンを注射したマウスが西ナイルウイルス感染に抵抗を示す実験結果を発表しているが、現実にヒトの日本脳炎ワクチン接種が西ナイルウイルス感染防御に役立つかどうかわからない。感染は防御できないにしても脳炎の発病を抑制する可能性はあるかもしれない。米国でも西ナイルウイルスワクチンが開発されているか情報は得られていない。

(株式会社ビー・エム・エル顧問 大谷 明)


株式会社BML